あやしい話


人に伝える際には、出処は明らかにすべきだと思う。

エビデンス

エビデンス

と巷ではうるさいのに、

そのエビデンスとは無縁の場所がある。



怪文書、と俗に言われるものは、

怪文書として人から人に伝わるわけではない。

ほんとうにいい話として、

信憑性があるような書き方がされているのだ。


人はその話を聞いて、なるほど、と

感動し、また

ちがう人に伝達してしまう。


もし仮に、その文書が、信憑性のない

ガセネタだとわかっても、

いや、その文章の中には、

いいことも書いてあるから、

そのいいことは取り入れる、

という人もいる。


でも、文書の中には、

一般論等も引用されているから、

その部分はいいって言い張っても

仕方ない気がする。

だって一般論だからでしょ?

それも書き手からすると、

手なんじゃないかな?

まさに本当のように感じてしまうっていう・・・ああこわ〜。



でも、出処があやしいものは

信じないに越したことはない。


また、その文書だけでなく、

他の信頼のおける書籍等にも、

同じことが記されているはず

なのに、そういったものがないときは、

やっぱり

疑ってみるべきだよね。


でも、どんな意図でそのような文章が出回り、

途中でいろんな怪しい部分がはしょられて

もう一度出回っているんだろうか。